カルネアデスの舟板
この言葉はご存知の方が多いと思います。いわゆる「緊急避難」ですね。
この使い古された言葉から、私はよく2つのことを考えます。
まず、1組の熱烈に愛し合う男女がいたとします。その2人が旅行先かどこかでこのような状況に陥ったらどうか?
この場合「2人で力を合わせて奇跡的に両者助かり、より愛を深めあう」とか「賢明な2人は、前もってそういう状況を避けた」といったようなハリウッドムービー的回答は認めないものとすると、考えられる選択肢は3つあります。
1)男が助かり、彼女は死ぬ。
2)女が助かり、彼氏は死ぬ。
3)「相死すとも、2人の愛は永遠である」と抱き合って、2人とも死ぬ。
それぞれに背景となる心理は様々に考えられます。
1)も2)も、助かった方が本当に助かりたかったかは様々なバリエーションが考えられる。
まあ単純に助かった方が「いくら愛しているといっても、代わりに死ぬほどあんたのこと好きじゃねーよ」というある意味至極当たり前の心理である場合は話が早いのですが、1)2)ともに「自分の命よりも、心から愛する相手の命を惜しんで、自ら身を引いた」という場合はどうなんでしょう。これ、ちょっと映画の「タイタニック」の最後のシーンに似たシチュエーションですが、現世は映画ではありませんから助かった方がその後ずっと彼氏(彼女)のことを思い続けているかは、全くもって分かりません。それでもおそらく死んでいく方は「満足して死んでいっている」はずで、何故ならばそれは限定された状況であるとはいえ、自分の願望が通ったままこの世を去るわけですから。(まあ「これで良いんだ」と自分の生への執着と懸命に闘いながら、これを抑えつけて死んでいくというのが実態かもしれませんが)
いずれにせよ、ここには「死をも超える愛情」が存在する可能性があります。
3)もまたいくつかシチュエーション分けができます。
鍵は年齢で、まあ長年連れ添った老夫婦ならこういうのもありかなと思いますが、年の差がある場合には議論の種になりそうです。通常は若い方を生かすんでしょうが、逆だったら世間からいろいろ言われるかもしれません。(「若く将来のある者を道連れにした」とか。まあこれは程度に差こそあれ、どのケースでも生き残った者が背負う十字架のようなものでしょう)
1番の悲劇は「互いに争って板に捕まろうとし、双方が死ぬ」というケースですが、極限状況ではこのパターンが結構多いかもしれません。恋人同士でなければ、まず確実にこのパターンになると思われます。
とまあある面気楽な分析をしているわけですが、ここで次の考えに進みます。
それは言うまでもなく「自分だったらどうするか?」ということです。
相手を見捨ててでも助かろうとするか。はいどうぞと譲るか・・・
これが、いくら考えてもまだわたしには結論が出ていません。
そもそもそういう状況に置かれたことがないということもありますが、自分の本性が分かりきっていないということでしょう。
願望としては、他人に譲っても良いと思える自分でありたいと思っているのですが・・・
でも、そういうことに直面する世界というのは、意外に近くにあるのかもしれないとも思うのです。特に最近。
では、今回はここまで。
拙文にお付き合いくださりありがとうございました。