淵に佇みて

その時々の思いを、少しでも言葉で残そうと思います

文化の衰退、文明の死

なんかブログ開設以来暗めの話題が多くなっちゃってますが、多分そういう世の中なのだろうと、自分で自分を納得させています。

元来私の考えることは大袈裟なことになりやすいというか、いわゆる大人の思考でない0か1かといった傾向が強いようで、昔はよく母親に注意されたものです。

まあその母親もすでに天国の住人なので、逆に今の世界を見ることなく逝けて幸せだったなという思いも少しあります。

 

昨今の情勢からつらつら考えるに、下手をするとこの世から文化、文明、優れた芸術、純粋な学問といった「ある面、お金に換えられないもの」が絶滅もしくは瀕死の状態になってしまうのではないかと思っています。

「それこそ大袈裟な考えだ。現にコンサートも、ライブも、イベントも開かれているし、美術館や映画館も以前のように営業している。お前の言うようなことは起こり得ない」と言う声も聞こえてきそうです。

いや、そうであるなら私も嬉しいんですけどね。一応音楽も映画も好きですし、今でもそういうものに触れるのがささやかな楽しみでもあるのですから。

でも無茶な反論を承知で、敢えてそう言うご意見をお持ちの方にお聞きしたいのです。

「それは今後ますます発展していくと思われますか?」と。

規模を小さくして、細々と続いていくことはあるでしょう。でもそういう事態になったら、確実に質は低下するでしょう。だって、稼ぎが減っていくのは目に見えてますから。

 

もっとも、こういう考え方には世代間の差というものがあるとは思います。

過去のものがいくら優れていたといっても現在それが存在しない、もしくは存在しても地中に埋もれたような状態になっている以上、今の時代において「良いもの」を享受するためにはその時のベスト(もしくはその時ベターとされているもの)を選択するしかないわけです。さらに、そういった分野の勉強をしようという者は、やはりその時点で得られる良いものを手本にするしかない。

単純な話、現代の若手音楽ファンに「原子心母」とか「クリムゾン・キングとELP」、「リリー・クラウスのモノラル録音のモーツァルト」とか「ワルター大地の歌 フェリアー独唱のもの」とか言っても話の通じる人はそう多くないのと同じことです。

これは多分歴史を通じての真理で、「昔のものは昔のもの」なのです。

但し、ここが重要なのですがこれは質の変化もしくは向上とは無関係だということは、言うまでもありません。

 

さて、問題は実のところこの先です。

今の日本(多分、世界も含めて)は急速にその色というか、将来に向かう力を失ってきていると思うのです。

日本でいえばコロナの緊急事態宣言からマスク、ワクチン接種と続く大きな流れにみんな疲れている。新しいことを考えるより今日を生きることに必死になっている。まあかくいう私もその1人ですが、いわゆる「心の余裕」を持ちにくい世の中になってきていますよね。

 

「じゃどうすれば良いんだ?こちとら必死で生きてるんで、そんなことは少しでも楽になってから考えるさ」という考えに落ち着かざるを得ないのかもしれません。

それも仕方ないですが、私としては極めてちっぽけではあっても「自分が自分らしくいられる場」が必要と思うのです。

 

多分、唐突にこのブログを始めたのもそういう理由からでしょう。

 

もしご興味をお持ちくださいましたら、今後ともよろしくお願いいたします。